何かに成る

昔は多少コミュ障だろうが、いじめられようが、努力すればなんにでもなれると信じていたよ。

久々にカゲプロの曲を聴いていたらセンチメンタルになってしまったため、今日はだいぶオセンチな内容なのでお気を付けください


カゲロウプロジェクトが大流行りしてたころ、この曲にドハマリして深夜の4時とかに課題ので絵やらプロダクトやら動画やら作ってたな…と思いだした。懐かしい。このころは「ネットでやりたいことで有名になるぜ!」って夢があった本当に最後の最後タイミングだったなと思う。

今はもうニコニコもオワコン化してしまって、いまや動画出す人もブログ書く人も、ほとんどが「モノづくりで大成したい!」というよりも「富豪になりたい!」って雰囲気だし昔とはやっぱりなんか違うよね。


望まれた姿に自らを形づくること


先ほどの「大成したい!」って話に通じるはなしですが、私は学生の頃、地味だけど実力でみんなをギャフンと言わせてやるぜ!陽キャ覚悟しとけ!と思ってる人間でした。そして実際それなりに結果を出して特待生になったり、ありがたくも作った作品で人に声をかけてもらったりしました。


ただ、学生でも光るものを持ってる!と思われてたとしても、本当にそこから人より頭一つも二つもでた「本物」になるには、人のペースに自分を合わせて回りの望む人の形をしながら、いつも通りの自分の成果を出せる人じゃないといけないんですよね。


本当に学科内で常習の成績優秀者は、社会になじめる感じで明るくて真面目で、飲み会でも楽しく回りに話を回せて、気配りができる上に実力も周りより基礎力が高くて努力する伸びしろがある、いわゆる「余裕とバランス」のある人達でした。


私はコミュ障でマイペースで、イラストに対する観察眼とか集中力とかは、ほかの人に比べて全然なかったので超必死で月100枚以上模写や写真を撮りまくったり、インターンバイトでプログラミング学んだりで200%ガツガツしてました。全く余裕もなく能力のバランスが著しく偏っていました。

だから人に求められても、それ以上のエンジンをかけることができないから、もうそれ以上の気配りも実力も発揮できから注目されても結果を残せず消えました。


人は自分以上の形には変えられない

ひとって、自分以上のものにはやっぱりなれないんだなって思う。ナルトだったかなんかでも言ってたけど。自分だけで何か大きなことをなそうとするのってとっても難しいと思う。だから、周りに協力を求められるだけのコミュ力も持ち合わせてない人間だと辛いなと思う。

そういう人間が幸せに生きていくにはどうしたらいいだろうと考えてみたけど、自分の好きなこととか大切なものは、周りと比較せずに大事に持ち続けるかなと思った。

結局、自分の思う理想の人間に自分はなれなかったけど、あの頃の必死の努力のおかげで仕事はともかく絵を描くという人生で安定した趣味が持てたのはよかった。

やっぱり絵のうまい人に比べたら根気ないし、かなりのスパンで絵をかかない時期が周期的にやってくるからどんどん下手になってるけど。多分絵もなかったらリアルに私は生きていけなかったと思う。

気持ちだけはやるき茶屋

イラストまじりのくだらぬブログです。

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