最近、「考える練習帳」という本を読んで物事の見方をちょっと反省している。
思考停止状態とは
ネットで検索する行為は思考ではない。
ただ、自分が受けた事象に対する感情の吐露は思考ではない。
過去を思い出して感傷に浸ることは思考ではない。
コロナ前、出社して働いてるときは時間に余裕がなかったから、自由時間の少なさに圧縮されて自然と思考と決断のプロセスがとても短かった。
今、在宅時間が増えて一人の時間が増えたことで、孤独な思考に疲れて思考停止になる時間が増えた気がする。
思考停止というのは、感覚で線引きするのは難しい。思考停止状態をプログラミングに当てはめると意外とわかりやすい。
・ネットで検索する行為→Fetch、GET、import(データの取得・受け取り)
・自分が受けた事象に対する感情→トリガーとなるイベントから引数を受け取る
・過去を思い出して感傷に浸る→キャッシュ(すでにローカルに残ってるデータを利用した表示)
つまり、思考停止状態とは読み込み行為かなと思う。
ただ、人間としてはこの読み込み行為も時間と頭を多少使うので、あまり思考停止の感覚がない。
じゃあ考えてる状態って何
これもまたプログラミングに当てはめてみる
・もしこうだったら?と想像してみること(if文)
・自分なりの処理を加えた結果を返す(return)
受け取った値を計算する、自分の型に置き換える(++、toFixed、parseInt)行為も迷いましたが、これはあまり当てはまらないなと思い、外しました。
「もし~だったら」という考え方って、学生の頃はカンタンに思いついたのに、
大人になってから時間に追われてすっかり考えられなくなりました。
やったとしても時間がないから、一般的な答えを「もし」の前提において、テンプレの答えを用意して行動してました。
そのこと自体は必ずしも間違いではないけど、その「もし」に「他人の価値観」ではなく、「自分の信念」を置く勇気を持つことが、何よりも大事なんだろうなと思いました。
最近は「無理しないことが正義」みたいなのがもはや浸透しつつあるけど、それも人によっては答えじゃない。
だからと言って人が「つらい…」と言ってるときに自分の感覚だけで「それは間違ってる!」ということもまた正解ではなくて、自分の答えを相手の状況というif文で相手の立場を考えて考慮して考える必要がある。
考えるって難しいですね。
今、友達からgifteeでもらったっプレミアムモルツでよってます。
おやすみなさい。
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